父親が怖いです。
これから私がそう感じる経緯をお話します。
長文で失礼します。

私には6つ離れた姉がいるのですが、姉への期待が異常なほどにあり私が生まれる前から怒鳴りあいや殴るなどといった虐待があったと後になってわかりました。
姉には父親の実母である祖母から、孫としてではなくまるで自分の娘のように育てられていました。
なので姉に対して祖母は期待以上のことを望み、その反動で姉は成人してから家出を繰り返したり親戚中にむやみやたらな連絡をしたりと迷惑行為をしていました。
早く大人になりたいと年上の姉に憧れていた私は、精神的に追い込まれた姉をどうにか助けたいがどうにも出来ない悔しさと、争い事がある度に「家族に迷惑をかける姉のようになるな」という言葉が私の胸に深く突き刺さっていきました。

前述の通り、祖母と父親は異常なほど世間体を気にして自分の考えを押しつけるような人です。
それでも私にとって祖母は、傷つけられることも何度かありましたが、幼少期には保育園の送り迎えをしてくれたり、一緒にテレビを見たり大学での話を聞いてくれたりと私を孫として慕ってくれました。

私にとって姉は、赤ちゃんの頃からたくさん遊んでくれて不安を分かち合い兄弟喧嘩を知らないくらい仲の良い特別な存在です。
その姉を自分の目の前で殴る蹴るが繰り返され、挙げ句の果てには「親不孝者」などと罵られるのです。
それをあたかも親なら当たり前かのように日常茶飯事にあるのです。
年齢も幼かった私はどうすることもできず、ただ泣き叫ぶことしか出来ませんでした。

私が生まれ物心がつく頃には私にも殴ることや心ない言葉(人格否定など)があり20年以上が経った今でも続いています。
私が2~3歳の頃、イヤイヤ期な年齢でもありなんでもイヤ!と言って言う事を聞かないと頭やお尻を叩かれました。そのことが人生で最初のトラウマとなり、父親が恐怖の対象になっていました。
そして小学校に上がると父親は「器量が悪い(美人ではない)」「背が小さい」などと見た目の否定を遠回しに言うようになりました。
しかし実際私には保育園時代から両想いで恋人のような関係の幼なじみがいました。
私は見た目のことを侮辱されるほど、幼なじみの存在も否定されているように感じ、学校でも周りの目を異常なほど気にするようになり自尊心がなくなっていきました。

学校生活では、私が末っ子気質な所もあってか自分の妹のように優しく慕ってくれる友達が何人かいました。
高校時代には合唱部に入り一生の仲間と出逢いました。
今でもその仲間と旅行をするなど繋がっています。
この合唱部が私にとっての居場所であり、ありのままの自分でいられる本当の家族だと思えます。
その合唱部の皆となんでも話す内で「そのままでいいよ」「ここにいていいんだよ」「アイデアの才能がある」と言ってくれることがありました。
大学では、子ども関係の仕事に興味があり保育科のある大学に進学しました。
そこで入ったのは保育関連のサークルで入学前から憧れていた団体でした。
そのサークルで恋人以上になるほど仲が良い男友達と出逢いました。
恋愛や結婚に憧れはありますが、心のどこかで男性恐怖症な部分もあり、異性に優しくされると裏があるのではと疑ってしまうのです。

中学時代、同級生の男子から心ない言葉を言われたり、あることないことを噂されるなどのいじめを受けました。

大学での授業では主に保育に関することを学びました。
そのなかで児童虐待についての授業を受けて、自分が精神的虐待を受けていたことに気づきました。
長年苦しめられたモヤモヤはこれだったのかとはっきりしました。

心苦しいこともありましたが、大学生になることが幼少期からの夢でもあったので、大学生活は想像以上に楽しく充実した毎日で、大学での4年間は私にとっての誇りになりました。

大学で就職活動する際、自分が将来何になりたいかわからなくなり、結局就職はできないまま卒業しました。
その頃実家にいた祖母ががんにおかされて先が長くない状態だったので一緒に居られる時間を大事にしたいと思いました。それと自分は何がしたいか将来をゆっくり考えたりこれまで出来なかったことに挑戦しようと資格の勉強をしたりと目標を決めて大学の下宿を出て実家に戻りました。
しかし大学を卒業して就職しなかったことが父親の考えにはなかったらしく、「就職をしなきゃ大学なんて意味がない」「同じ年の子は皆(全員)就職している。就職していないのはお前だけ」などと私が大学で過ごしたかけがえない青春時代を罵り、私が決めた進路を馬鹿にして、これまでと同様に人格否定をしました。
私にはこの一言が「生きてる価値がない。死んでしまえ。」と言っているように聞こえました。
具体的に言うと、洗濯などの家事の強要や夕方になったら家のシャッターを閉めることなどまるで家政婦のようなことを求められ、父親の考えに背けば、「お前は使えないやつだ」と罵るのです。
不眠症で睡眠不足のなかで、朝起きれないでいると部屋に怒鳴り込み「いつまでも寝てるな!」「天気が良い日くらい洗濯物を干せ」「母の手伝いをしろ」と脅すのです。
そして実際の所、大学の同級生には私と同じく就職先に悩みそのまま卒業した人もいれば、単位が足りずに留年した人、会社などに就職せずに夢を追ってバイトをしながら音楽活動をする友達などがいて皆それぞれで、自分以外の人全員が就職をしているなど私にとってはあり得ないことでした。
そのことがトラウマ(PTSD)となり、父親の存在を感じるだけで動悸が激しくなったり、食欲の低下や憂鬱感、気が遠くなるようなめまい、冷や汗をかいたり手の震えが止まらなくなり、喘息に近い咳が長引くことや、何もないのに突然悲しくなり涙が止まらなくなったり、下痢や便秘を繰り返すなどの症状が出てきました。
生きる希望を持って大学を卒業したはずでしたが、自分の生き甲斐ともいえる大学時代を侮辱され[自分は生きていても仕方ない][死んだほうがいい]とさえその当時は考えたこともありました。

また大学を出てすぐの頃、福祉も学んでいた私との考え方の違いから祖母の介護をきっかけに姉と距離を置くようになりました。
距離を置きたくないはずが姉の話を聞くだけでイライラするのです。
そのことにも自己嫌悪になりとても苦しめられました。
私が大学で下宿生活をしている間、上京していた姉は実家に戻っていました。
それと同時に姉は双極性うつ病になり、症状が悪化していくばかりでした。
祖母が亡くなってから少しずつ姉との関係は修復していきました。

社会人1年目のあるとき、実家の畑に一匹の野良猫が迷い込みました。当時まだ生まれたばかりのようで目もおぼろげでした。その猫を畑で可愛がっているといつしか他の猫も餌を狙って訪ねてきました。
その内の一匹にノミが飛ぶような猫がいました。野良猫だったのでその内いなくなるだろうと思っていたのですが、何度も訪れるのです。今思うと人間に助けを求めていたのだろうと思います。
その猫について何気なく姉が父親に話したところ、イライラしていた父親は突然感情を全てその猫にぶつけるように何度も蹴飛ばし、顔面を踏み潰すのです。
案の定、その猫は弱り果て、実家の側で亡くなりました。
すぐに通報すれば良かったものの突然のことで母や姉も呆然として「やめて」と叫ぶしかありませんでした。
このことで私は父親を動物虐待をする犯罪者だと思うようになりました。

大学を卒業して社会人2年目の4月から母の紹介で近くのこども園で臨時職員として働き始めて現在に至ります。
職場でも仕事柄入所している子どもの保護者などに何度も会うのですが、人見知りが激しく、挨拶が出来なかったり同僚の先生方にも心を閉ざすなどで関係が上手くいかなくなり、仕事にも父親のことが影響されました。
仕事をして家にいない間は不安感などの症状は特にないですが家に帰って父親に会うと思うと息苦しくなります。

そして今年の4月から地元の心療内科に月1回通院しています。
そこでは適応障害との診断を受けました。
カウンセリングをしていくなかで、私にはそもそも父親という存在の概念がなかったことに気づきました。
今まで母や姉が呼んでいたから私も同様に「お父さん」と呼んでいましたが、父と呼ぶたびにどこか違和感を感じていたのです。
自分が生まれ育った家に一緒に暮らしていても、この人は誰なんだろうか、自分が尊敬する母や姉を傷つけ怖がらせる人、という思いが私のなかにきっとあったのだと20代になりようやく気がつきました。
父親を尊敬する人や離婚などで実際にいない人には考えられないことかもしれないです。
このことを母に話しても信じてもらえず、嫌いなだけと思われています。
今では[父親]という言葉を聞くだけでとてつもない不安に襲われ、夜も眠れず、ひどい頭痛や腹痛、親しい高校時代の友達ですら信じられないくらいの不信感に襲われます。
警察署にも家庭相談に行きました。
しかし、いくら話しても確実な証拠もない為、あまり信じてもらえず記憶障害とまで言われました。
警察署の相談に行ってから家庭内で争いが起こる度に録音や録画をして証拠を残すようにしたり、本人にバレない場所で警察署へ連絡をするようにしています。
そして普段の生活では、父親との会話を控え、その存在すらないかのようにほぼ完全に無視をして距離を置いています。
ですが、そのことも父にとっては気に障るらしく、何度も「俺のことが嫌いか」とたずねてきます。
嫌いというよりも私には父親の存在すらなく、他人と同じく無関心である為答えられずに黙っていると返事を聞くまで問い詰められます。
最終的には母がフォローしてその場は治まるのですが、このこともまたトラウマ(PTSD)となり、夢のなかですらフラッシュバックすることがあります。
経済的な理由から父親名義の車で通勤しているのですが、あるとき精神的に追い込まれ家の駐車場で車に傷を作ってしまったことがありました。
その際、パートで時給が低い私にその修理代として月給以上の額を要求するのです。
現実的に難しいので母が間に入りなんとか許してくれました。
他にも機嫌が良い日は理由もなく本人はお小遣いのつもりで3千円前後渡され、受け取らないと機嫌を損ねて怒鳴られると思い、しぶしぶ受け取っています。
しかし、自分から渡したその日に、渡した後で機嫌が悪くなったり自分に立場や都合がなくなると「さっき渡した金を返せ」と鬼のような剣幕になって、まるで取り立て屋のように脅すのです。
私は恐怖で震えてすぐに動くことができずに立ち尽くすだけでした。そんな日が実家に戻って何度もありました。

色々な場所で相談するなかで、自分らしさを見つけて自分の為に悔いがないように1日を大事にして生きようと強く思うようになりました。

職場では、仕事内容や環境にも慣れて少しずつ一緒に働く職員との関係や子どもたちとの信頼関係も取り戻し、「先生、大好き!」と言ってくれる子どもの言葉を胸に刻み、その声を力にして仕事に励んでいます。

今は来年を目処に、心療内科とも相談しながら一人暮らしを考えています。それでも毎日が不安でどうしようもないです。
そして人に嫌われることと否定されること、自分の言動が誰かの傷になっていないかといったことが恐怖で堪らなくなります。

話を聞いてもらいたいのと心が少しでも落ち着くアドバイスやひとことがあったらお願いします。